今度のロボットはおじいちゃん!?~映画「ロボジー」~

今度のロボットはおじいちゃん!?
~映画「ロボジー」~

今まで数多くのロボット映画が製作されてきましたが、中に人間が入ったロボットはいなかったのではないかと思います。しかもただの人間ではなくおじいちゃんなのです!そんな前代未聞のロボット映画「ロボジー」についてと、その出演者であるミッキー・カーチス、吉高由里子についてまとめました。

五十嵐信次郎ことミッキー・カーチス

映画「ロボジー」で主役の鈴木重光を演じた五十嵐信次郎は、「ミッキー・カーチス」の名前で知られるロック歌手です。俳優やタレントとしても活動しています。「五十嵐信次郎」という芸名はこの映画に出演するにあたり、新人として気持ちを新たに挑みたいという気持ちから付けた芸名なのだそうです。御年76歳のミッキー・カーチスは、ロック歌手や俳優・タレント以外にも華道家・落語家・作詞家・レーサーなど様々な顔を持っています。2008年には33歳年下の女性と結婚するなど、現役引退の文字は彼の辞書には乗っていないようです。

プロフィール

1938年7月23日生まれ。両親ともに日本と英国のハーフであり、自身もハーフとして東京府東京市赤坂区で生まれました。出生名はマイケル・ブライアン・カーチス、帰化後の戸籍名は加千須(かちす)ブライアンです。生後まもなく兵庫県神戸市の父方の祖母・三浦レオニーに預けられます。彼女は日本におけるイギリス刺繍の第一人者でもあります。父方の祖父の三浦昇三は、鉄道省観光局による観光通訳案内業試験の第1回合格者で、サマセット・モーム、ノエル・カワード、オランダのベアトリックス王女、ベルギー皇帝などの通訳を務めました。幼い頃は耳が大きく、当時流行っていたミッキーマウスに似ていたことから、あだ名はミッキーでした。1942年、父や母や姉とともに中華民国の上海に渡り、共同租界で生活します。戦時中に実父が失踪してしまったため、イギリス国籍の義父を迎えます。1945年、敗戦後に母や姉や義父と共に日本へ帰国し、東京荻窪の母方の親戚宅に身を寄せました。1946年には、東京千歳烏山に転居し、以後は長く同地で暮らします。1950年に和光学園小学校の5年生に編入。和光高等学校在学中の1995年頃、ティーブ・釜萢が校長を務めた「日本ジャズ学校」に通い始めます。1958年には、成城大学文芸部文芸学科映画科に入学しますが、のちに中退。その後は日本の占領に当たったアメリカ軍をはじめとした連合国軍兵士のキャンプ廻りや、朝鮮戦争に出征する国連軍兵士の慰問を行いました。その後、徐々に音楽活動が認められるようになり、ロカビリー歌手として日劇ウェスタンカーニバルに出演します。当時活躍していた平尾昌晃、山下敬二郎と共に「ロカビリー3人男」として高い人気を誇りました。1960年には第11回NHK紅白歌合戦への出場を果たします。この第11回紅白は、ラジオ中継の音声が現存していて、2004年にもカーチスの歌の音声がNHKのラジオ番組で紹介されています。

幅広い活動

この頃から、歌手としての活動以外にも、二枚目俳優、タレントとしても活躍するようになります。「野火」、「独立愚連隊」、「スワロウテイル」、「お墓がない!」、「死に花」など多数の映画にも出演しました。特に、岡本喜八監督の作品では常連俳優でした。また、この頃には共演者でもあった雪村いづみとのロマンスなども話題となり婚約まで交わしたのちに破局しました。1962年に「ザ・ヒットパレード」の初代司会者として共演した縁で芳村真理と大恋愛の末結婚し1児をもうけますが、1964年にわずか2年弱で離婚しています。1966年にはバンド「バンガーズ」をアジアで結成し、後に「ミッキーカーチス&サムライ」を結成し、ヨーロッパ音楽ツアーへ旅立ち、ライブ活動のほか、現地でレコード製作も行いました。1970年に帰国後は、音楽プロデューサーとなり、合歓ポピュラーフェスティバルのイベントで自作の曲「地球最後の日」が作曲賞を受賞しました。また、ガロや小坂忠、矢沢永吉のいたキャロル、左とん平の楽曲「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」などのプロデュースを担当しました。また、ミッキー・カーチスは立川談志との出会いをきっかけに、落語の世界にも飛び込んでおり、1998年に「ミッキー亭カーチス」として「立川一門会」の真打に昇進しています。元々、学生時代は学校をサボって寄席通いするほどの落語好きで、単位が足りなくなったときも一席やって教師から単位を貰ったほどでした。幅広いジャンルで活躍中で、「いつの時代でも若者の味方」というイメージが強く、「スワロウテイル」などでそのイメージを不動のものにしています。

私生活

両親ともに日本とイギリスのハーフで、カーチス自身もハーフです。1961年に芳村真理と結婚しましたが、1964年に離婚しています。芳村との間には息子を授かっており、以前は歌手としても活動していました。1971年にタレントの西野美代子と再婚。しかし、2002年、長い離婚訴訟の末に離婚しました。西野との間に授かった長男は元ミュージシャンで、いしだ壱成らとバンドを組んでいた加千須ユージンです。次男のトム・カーチスはベーシストです。2008年1月下旬には、33歳年下のピアノ講師と再再婚し話題となりました。趣味が多く、射撃、オートバイ、モータースポーツ、彫金、養蜂、宇宙研究など、幅広い分野を手掛けています。1960年代には元祖「タレントレーサー」としていすゞ自動車とワークス契約を結んだこともあり、1980年代には東京都目黒区にオートバイショップ「ブライアン・カーチス」を開いていたこともあります。

ディスコグラフィー

ここではミッキー・カーチスのソロ活動で発表した作品をご紹介します。

シングル

  • 1998年「KANREKIロック」・・・作詞は高田文夫、作曲はミッキー・カーチスが担当。

アルバム

  • 1972年「耳」
  • 1994年「FROM THE MOON FOR THE TREES JUST ROCK'N ROLL」・・・ミッキー・カーチス40周年記念アルバム。
  • 1996年「Mr.RAINBOW」

「ミッキーカーチス&ポーカーフェイス」名義

  • 1976年「マラカイボ・マジック」
  • 1976年「SUPER SENTIMENTAL」
  • 1976年「ファーストゲーム」
  • 1977年「ロックン・ロール・スペシャル」・・・カバーアルバム
  • 1977年「ロックン・ロール・スペシャルVol.2」・・・カバーアルバム
  • 1977年「カントリー・スペシャル」・・・カバーアルバム